1 自己満おせっかいやめます。
困っている人、悩んでいる人がいたら
「自分がなんとかしなきゃ!」
と思い、多少自分の予定やら、時間やら、体力やらを削って
相談を聞いたり、アドバイスをして来ました。
でも、
やめます。
ひとの悩みに自分を削ってまで付き合う必要はない。
(これだけだとなんて冷たい人間だ!ってなりますよね^^;別にOKです!)
基本的に、ひとって「最終的に問題を解決するのは自分」なんですよね。
誰の力も借りずに解決する場合もあれば、
誰かに助けてもらう場合もあります。
ケースバイケースですが、
最後は結局、「その人次第」なんですよね。
「だから悩んでいる人は放っておけ!」
という意味ではありません。
今までの僕みたいに「自分がなんとかしなきゃ」なんてバカなことは
やめたほうがいいということです。
もっと言うと、
「ひと様の大事なお悩みに自分から首突っ込むな」
ってことです。
以前の僕みたいな人が根本的に間違っていることは
2つあるのではないかと思います。
① 「ひとのために自己犠牲してでも力を尽くす」のは、そうしている自分が好きなだけ。もしくはそうしないといけない(そうすべきだ、そうあるべきだ)という「自作ルール」に縛れられているだけ。
② 悩んでいる人に必要なのはインプットではなく、アウトプット。インプットしようものならそれこそおせっかい。
異論をおっしゃる方もいるかもしれませんが、個人的独り言ですので、
さらっと流してもらえるのが一番嬉しいです。
①については、結局、僕の場合だと、
心の底では
・ひとのために親身になれる自分、素晴らしい
・ひとのために自分を犠牲にできる自分、素晴らしい
・ひとの役に立てる自分、生きている価値がある
みたいなことを思ってましたね。
ゲスい!(笑)
自己肯定感や自分の価値を高めるためにやっていたんですね。
いや、結果的に、それで相手が元気になることもあるんですよ。
でも、こんな理由で動くなんて、なんというか
「自分、しょーもな!」ってなりまして・・・。
やめることにしました。
「ひとのために」のお面をつけて、「自分のために」動くのは
なんともダサい。
これは2つある理由のうちの一つですけどね。
②に行きます。
悩んでいる人って、
アウトプットし切ったら(膿を出し切ったら)、自己治癒していくと思うんです。
頭ん中がいっぱいすぎて(しかもマイナスなことばかりで)、
身動き取れない、打開策を考える作業スペースもない・・・。
そんな状態の人に
「アドバイス」という名のおせっかいをインプットしようものなら
それこそ、ありがた迷惑かと。
もう頭ん中、満杯ですから。
そこに、何かを詰め込もうとしたって
入るわけありません。
悩んでいる人にあれやこれやとアドバイスしても
響かない(=入らない)ことが多いのはそういうことではないかなと。
もしできることがあるとすれば、
お腹一杯の人の口に、良かれと思ってチャーハン(料理は何でもいいですけど)を
詰め込むのではなく、
むしろ、指を突っ込んで吐かせてあげることかなと。
吐いたら楽になるし、
いっときしたらチャーハンも食べられることでしょう。
といっても、チャーハン食わせることが目的になったら
意味ないですけどね。
食いたかったら、その人が自分で注文しますから。
ラーメンの方がいいのかもしれませんし。
最高の援助って、
「困っている人が必要な時に、必要なことを必要なだけしてくれること」
だと思います。
主語は「困っている人」です。
困っている人が必要な時に、動けばいいんです。
「必要」のサインを見落としたらアウトですが・・・。
必要ともされてないのに、勝手に首をつっこむのは
本当に、滑稽だったなぁと思います。
だからこれからは、
「SOS受け入れ可能サイン」くらいは出すにしても
それ以上のことはやめます。
もしも、自分が必要とされたなら、その時に動けばいい。
僕は「自己満おせっかい」やめます。
最後はその人が決めることです。
でも、必要とされたら、できる範囲で誠実に応えます。
余談ですが、
「必要とされた時点」で「自分に価値がある」と思ってもいいかなと思います。